人は生まれて、生きて、そして老いて、やがて病気になり
死んでいきます。

この世に生まれたものの宿命です。

しかし、毎日私たちはそんな事にとらわれず
あっけらかんと生きているのです。
やがて死が訪れるというのに…。

実は若い頃、病弱だったので
自分の生きた証(あかし)として
音楽や詩を書いていました。
和尚は昔プログレッシブロックというジャンルの
ミュージシャンを目指していたのです。

右の写真をクリックすると
動画サイトが開きます。
若き頃の和尚が
ベースギターを弾いている姿 です。

27歳から28歳にかけて一年間でレコード作製しました。SAGITTARIAN.ジャケット写真です。写真のリンクをクリックすると動画サイトを見る事ができます。28歳の私がベースを弾いています。


 
お参りの感想文「七福神・一日ひと寺まいり」

 親友との茶話から、天候と都合のよい時に散歩程度のゆっくりとした「小田原七福神めぐり」に出かけようという事になった。
 
10月17日、前夜の雨もあがり、爽やかな秋日和となったので大黒天をまつる蓮船寺に電話をかけると、住職は「午後は出かけるので、本堂は閉まっています」との返答であった。私たちはタクシーで出かける事にした。
 
蓮船寺は、城山の高台に位置しているので自然林に囲まれており、空間は参道だけであった。本堂への石段の両側には、自然林を背景にして秋の草花がのびのびと陽光を浴びていた。
 
森閑とした空気の中にいると「自然の中にこそ仏道がある」という言葉が実感となって心に伝わって来る。
 
本堂に安置されている「出世三面大黒天」の背には毘沙門天と弁天様が彫られている。
 
人は厳しく、優しく、豊かに生きれば必ず福がくると諭しておられるような大黒天に、私たちはお賽銭を上げ、福と守護と温情を願った。三面大黒天は関西地方に多く見られ、関東地方では比較的少ないそうだ。
 
もう一体ある大黒天は幾層もの木組みに彫りのある立派な厨子におさまって少しうつ向き加減で微笑んでおり、私たちが親しんでいる大黒様であった。不況の風を静めてくれるよう願いお賽銭を置いた。
 
これらの大黒天は、京都の寺から小田原に何故移されたかは不明のままだが、日蓮大聖人は「大黒天を信仰すれば、所願成就し、現世安穏や、後生善処の楽を得られるであろう」と手紙に示され、大黒天信仰を勧められたそうである。
 
本堂を出てから境内の境界線に続いている小田原城の空堀「お鐘の台曲輪」を見たりして庫裡の方に戻ると「福聚海無量」と書かれた朱印紙が、朱盆に置かれていた。老女のお参りに花を添えて下さった五文字に感謝した。
 
庭で自由に遊ぶ黒い犬、走り回る鶏と雛。色とりどりの秋花、長閑やかな寺に一礼して私たちは、騒音の街への坂を下った。一日ひと寺。心満たされた好日であった。