「独り来たり、独り去り、一の随う者なし」
生まれてくる時はひとりだった。
死んでいく時もひとりでいく。
誰一人一緒にいるものはいない
これは「大無量寿経」の一節だそうだが
本当にそうだろうか。
生まれてくる時には必ずその場にいた人がいる。
母親である。
独来という言葉は不可能な事である。
お経というものは前後を確認して読まないと
意味を間違えるものだ。
それから3月11日の津波の事だ。
あの時は、たまたま居合わせた人や
学校で、職場で
多くの人の命が一緒に奪われた。
人間は一人で死んでいかねばならない宿命をもっているが
道連れがいた事をせめてもの幸いと受け止めるかどうか?
今日もまた
多くの命が生まれ
多くの命が終わっている事だろう。
ネットで知った本が今日届いた。
こんなにいい本を知らなかった。
1月14日 「死ぬいのちをかかえて」
生きているということは
死ぬいのちをかかえているということ
東井 義雄「一日 一言」より