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2016年04月10日(日)

blog「和尚の言葉」お引っ越しのお知らせ

 引っ越し先の名前は

そのものずばり「和尚の言葉」

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2016/04/10 13:14 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(1)

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2016年03月02日(水)

比企谷 妙本寺 早水貫首さま密葬参列

この二月二十二日に遷化された早水日秀貫首さまの密葬義が
昨日執り行われた。

30年の長きにわたってお世話になったが
忘れられないのが、池上にお世話になった最初の一年めの事だ。

僧侶としては誠にあらゆる点で未熟、しかも
修行している本人が俗物慢心の塊のような人間だったので
本当に指導される側としては
手を焼いて、世話を焼くことの連続だったろう。

中でも忘れられない事件を起こした張本人はわたくしである。

縁日の朝のお勤めの後にご廟に墓参をする日があった。
泊まりの当番役をしていた私は
ご廟付近に五十以上の印塔がありそこに線香を点火して配らねばならない。

しかも境内は広くとても時間に間に合いそうもなく
近道をするために100メートル近い長廊下を走って大玄関から飛び出した。
火の粉が火起こしの中の線香からぽたぽたと廊下に落ちているのも知らず
とりあえず配り終わって廊下に戻ると
当時修行僧の指導役だった何人かの先輩たちにまじって
監督の早水執事が一生懸命絨毯の上をカッターナイフで黙々と削っておられた。

なんと、ぽたぽたと落ちた火の粉が絨毯に煙草の焼けこげのような
跡をつけてしまっていた。
絨毯は新しく敷き変えたばかりだったようで、毛足が長く
傷を隠すことができ私は弁償する事もなく済まされたのだ。

この事は後々「長廊下えんとつ事件」などと名付けられ
後輩指導の際にたびたび語り継がれてしまったエピソードであるが

私はやさしい先輩方に守られ
見放されることなく最後まで指導して頂いたお陰で
翌年当初の目的である役課見習い職になることが出来た。
あれから30年の日々が過ぎた。昨日の密葬荼毘式では
当時の仲間も何人か集まり、昔話に花を咲かせた。
早水貫首さまも困った奴だと顔をしかめておられた事であろう。
増圓妙道をお祈りします。合掌


2016/03/02 13:42 | 未分類 | コメント(0)

2016年02月29日(月)

心は見えないけれど、心づかいは見える

 羽生市の詩人
宮澤章二さんの詩に

「 こころ は誰にも見えないけれど、

こころづかい は見える。

思い は見えないけれど

思いやり は誰にでも見える」

人生で一番大切なものは思いやりです。

仏教では慈悲と説きます。



2016/02/29 16:52 | 未分類 | コメント(0)

2016年02月28日(日)

中古品のパソコンの譲渡会

官公庁や企業では大量にパソコンを導入し
それぞれ、3年とか5年のリース期間が終了すると大量の産業廃棄物となる。
しかし、それらの中古パソコンがすべて不良品かというと
問題は別である。
すべて初期化し、まっさらというかOSもグレードアップしたりして
中古品として譲渡してくれる会がある。

昨日今日と二日間、ジャンボナックビルのコンベンションホールで
その会があったので早速出かけて
NECのノートパソコンを入手した。

私が手にしたノートは実は以前使用していたメーカーだったので
少し愛着もあり、三万円という価格も魅力であった。

早速家で使ってみたが、ほとんど問題ない。
バッテリーだけはダメだろうが、あとは新品同様だった。

光電話を導入したのにフレッツ光を使ってなかったので
プロバイダーに加入しネットにもつなげて見た。

ケーブルテレビのJコム回線と二回線持っているので
比較してみたが、光の方が通信速度が早くできるようだ。
価格も速度に従い増加するようだが。



2016/02/28 12:51 | 未分類 | コメント(0)

2016年02月24日(水)

ノスリ来襲。矮鶏一羽殺される。

今日も箱根のノスリが来襲した。
昨日うちの愛玩矮鶏が一羽捕られたばかりである。
いつも鳥小屋にいるのだが
時々餌やりの時に脱走してしまうのだ。

鎌倉時代には雉にうまれると鷹に食われると

ふと日蓮聖人のご遺文の一節が心に浮かんだ。

 此娑婆世界(しゃばせかい)にして
きじ(雉)となりし時はたか(鷹)につかまれ、
ねずみとなりし時はねこにくらわれき。
或はめ(妻)に、こ(子)に、かたきに身を失し事、大地微塵(だいちみじん)より多し。

法華経の御ためには一度失ことなし。

されば日蓮貧道の身と生て、父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。

今度頚(くび)を法華経に奉て其功徳を父母に回向せん。

其あまりは弟子檀那等にはぶく(配当)べしと申せし事これなり、

2016/02/24 17:32 | 未分類 | コメント(0)

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