2014年09月17日(水)

船師章後半

 佐々木淑文さんとお経を読みとくシリーズ


本日第二回目です。


北齊の曇摩伽陀耶舎(どんまかだやーしゃ)の訳


無量義経(むりょうぎきょう)(開経)の中から


特に私が感動した部分


いよいよ佳境に入ってまいります。


十功徳品第三(じゅっくどくほんだいさん)
より船師章と呼ばれている部分後半です。 

 
(おきょうのよみかた)は私がふりがなしました。


「解説」は友人である佐々木淑文さんの現代語訳です。超訳シリーズです。

 

未だ自ら度すること能わざれども

(いまだみずからどすることあたわざれども)

已に能く彼を度せん。

(すでによくかれをどせん)

「自分は彼岸に渡らずに、他の人を渡してあげることが可能だろう。」

 

猶ほ船師の身重病に嬰り四体御まらずして此の岸に安止すれども

(なほせんしのみじゅうびょうにかかり、したいおさまらずしてこのきしにあんしすれども)

「例えば船長が重病であって、体を動かすことすらできなくてこちらの岸にあっても、」

 

好き堅牢の舟船常に諸の彼を度する者の具を弁ぜることあるを、給い与えて去らしむるが如く

(よきけんろうのしゅうせんつねにもろもろのかれをどするもののぐをべんぜることあるを、たまいあたえてさらしむるがごとく)

「船はしっかりとして彼が導いて来た人々に必要なものを与えて、あちらの岸に渡すことが出来るように、」

 

是の持経者も、亦復是の如し。

(このじきょうしゃも、またまたかくのごとし)

「この経を持つ者も同様である。」

 

五道諸有の身百八の重病に嬰り、恒常に相纏われて、
無明老死の此の岸に安止せりと雖も、

(ごどうしょうのみひゃくはちのじゅうびょうにかかり、つねにあいまとわれて、むみょうろうしのこのきしにあんしせりといえども)

「地獄から人間までの五つの世界を輪廻し、重き煩悩に左右され、常に無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老・病・死・憂・悲・苦悩につながれているのであるが、」

 

而も堅牢なる此の大乗経無量義の能く衆生を度することを弁ずることあるを、

(しかもけんろうなるこのだいじょうきょうむりょうぎのよくしゅじょうをどすることをべんずることあるを)

「この堅牢重厚なる大乗無量義経が人を渡すことに於て随一であること、」

 

説の如く行ずる者は、生死を度することを得るなり。善男子、是を是の経の第三の功徳不思議の力と名づく。

(せつのごとくぎょうずるものは、しょうじをどすることをうるなり。ぜんなんし、これをこのきょうのだいさんのくどくふしぎの力となづく。)

「如説修行すればたちどころに彼岸に至る、これがこの経の第三の功徳の不思議である。」

 
感想など詳しくは次回へつづく

2014/09/17 19:07 | 仏教全般お経の解説など | コメント(0) | トラックバック(0)

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