2014年08月24日(日)

岡田利規氏の「コピー・アンド・ペースト」を読んで

 岡田利規氏は、劇作家であり、演出家だそうだ。当然人を観察する能力に秀でている。
神奈川新聞、本日のゆとり11面、「木もれ日」のコーナーで興味深い、短文を寄せている。
父親の四十九日法要で、法事を勤めたご住職が法話をされたという内容である。
その法話の内容が以下のものだ。

「私たちがこの世に生をうけたのは、この命を授けてくれた
お父さんとお母さんがいたからであるが、
私たちのお父さん、お母さんにもそれぞれ、お父さんとお母さんがいて、
お父さんのお父さんやお母さん、
お母さんのお父さんやお母さんにも、それぞれのお父さんとお母さんがいる。
この系譜はもっともっと遡ることができる。

つまり、私というひとつの命がこの世に存在するためには、
私という存在から遡ることの出来る先祖たちが存在していなければならなかった。

そのうちの誰かたった一人でも欠けていたとしたら、
今、私がこのように存在している事はないのだ。

私たち一人ひとりの命は、数え切れないほどの命のバトンの
受け渡しがあった上でここに存在しているのであり、これは奇跡のような事なのだ。」

同じ年の12月に一周忌の法要があって、
ご住職さんがまったく同一の内容の法話をされたという事で
とても驚くと共に、あきれてしまった。という内容であった。

岡田氏は親の四十九日忌のご住職の話の内容を
きちんと聞いて、記憶されていた。
これは私には驚きである。

どんな深い内容、上手な説法をしても
たいがい、皆内容を忘れてしまうものである。
まして、岡田氏は当事者として、色々な雑事に心を配り
法事の内容などとても記憶に残るものではない。

作家として法話の内容まで吟味しているのだろうか。
何より私が驚いたのは

この法話の内容はいつも私が語っている内容ではないか。



2014/08/24 16:07 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

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