2016年03月16日(水)

独来独去

 「独り来たり、独り去り、一の随う者なし」

生まれてくる時はひとりだった。

死んでいく時もひとりでいく。

誰一人一緒にいるものはいない

これは「大無量寿経」の一節だそうだが

本当にそうだろうか。

生まれてくる時には必ずその場にいた人がいる。

母親である。

独来という言葉は不可能な事である。

お経というものは前後を確認して読まないと

意味を間違えるものだ。


それから3月11日の津波の事だ。

あの時は、たまたま居合わせた人や

学校で、職場で

多くの人の命が一緒に奪われた。

人間は一人で死んでいかねばならない宿命をもっているが

道連れがいた事をせめてもの幸いと受け止めるかどうか?

今日もまた

多くの命が生まれ

多くの命が終わっている事だろう。

ネットで知った本が今日届いた。

こんなにいい本を知らなかった。



1月14日 「死ぬいのちをかかえて」

生きているということは

死ぬいのちをかかえているということ

東井 義雄「一日 一言」より





2016/03/16 16:22 | 仏教全般お経の解説など | コメント(0)

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