私にとって身延山久遠寺はお坊さんになる決心をしたお寺です。
大學はどうにか卒業出来たけれど、どうやって暮らしていくのか
まったく考えてもいなかったのですが
両親の勧めるままに、一年間の僧道実修生活に入りました。
直前までナイトクラブでピアノを演奏したりしていました。
ようするに小遣い稼ぎだったのですが
夜の生活で大人の世界を少し覗き見しました。
男の値打ちは使える小遣いの金額で
女の値打ちは貢ぐ男の数で決まるとか
騙し、騙されのばかしあい。
そんな事ばかり見ておりました。
さて、田舎の山奥の大寺に入って
身も心も清められたのかというと
大違いでした。
先輩方には迷惑をかける連続。
超低空飛行というのか、やっとの事で
修行をして、僧侶の資格をなんとか得て
一年の修行を終えましたが、
無事に一年を過ごせたのも
よい先輩に巡り合えたからです。
まじめにお経の練習に打ち込んだり
古文書の勉強にも頑張れたのは
先輩の手取り足とりという世話があっての事でした。
10月の27日と11月10日に相次いでその二人の先輩が
亡くなられました。
お坊さんが亡くなることを遷化(せんげ)といいます。
別の次元の世界に行って
新たな場所で布教をするという意味です。
だから「安らかにお眠り下さい」という挨拶はしません。
あの世にお引っ越しして新たにご信者さまの前で
布教を続けて下さい。お世話になりました。
