お寺の縁起について(1)

初期の歴史に関して詳細に記したものが鎌倉に現存しています。これにより昔の事を詳しく知る事ができました。
 
鎌倉市大町 日蓮宗本山 比企谷 妙本寺所蔵
「蓮船寺寺院書き上げ」
という古文書より原文と私の感想(コメント)を※で掲載します。
 
これは一種の財産目録のようなもので徳川幕府より宗門に対して提出するよう指示があったもので本末関係にある鎌倉の本山 妙本寺に戻されて現存しているものです。棟札以降の部分は特に興味深い内容だったのでわかりやすいように私が大意を(  )の中に訳しております。
「開基(かいき)内に有之(これあり)」相模国足柄下郡小田原領板橋村
 惺雄山(せいおうざん)蓮船寺(れんせんじ) 堅帳(かたちょう)
 
一 当山開基 蓮行院(れんぎょういん)日船大徳(にっせんだいとく)
 
   永正二乙丑祀二月開闢(かいびゃく) 享保十四己酉迄百六十年余
 
※永正2年は西暦1505年 享保14年は1729年 計算すると224年過ぎているので160年余りという計算は誤り。逆に計算が正しく、乙丑(きのとうし)も正しいとして次は永禄8年(1565)に当たるがこれだと164年にあたり計算は合う。どちらが真実であろうか?意外に単純な書き損じであったりする。
 
一 両尊並(りょうそんならび)祖師大菩薩(そしだいぼさつ) 日尋代
    御衣替 厨子共に施主八木又四郎
※この時の両尊像は残念ながら現存しない。
 
一 三十番神 三社造ニシテ拾四体アリ拾六体不足
※現存せず
 
一 鬼子母十女神  拾一体
   施主八木又四郎先祖 久右門納ム
※ 十女神とは十羅刹女の事であるが、11体のうち2体のみ現存する。
 
一 鬼子母神 一体 運慶作   日尋代
   享保十三戊申九月八日 片山笹右門母納ム
※現存せず
 
一 誕生釈尊  一体 作仏ト見タリ 開山 日船納ム
※現存する
 
一 七面大明神 一体  日尋造立
                   名乗守辰トアリ
※現存せず
 
一 七面絵像 一幅  誓願寺町美濃屋 五兵衛
              為父日意納ム表具共ニ
※現存せず
 
一 鬼形鬼子母神絵像 一幅 日尋納
    病息消滅不老不死日蓮判トアリ
※現存せず
 
一 昔ヨリ祖師大菩薩御本尊板木一枚アリ
※現存せず
 
一 御経一部       八木久右門納ム
一 同 二部          日尋納ム
※古いお経は複数あるが、この時のものはない。
 
一 涅槃像一幅 八木久右門孫小池幸之助十三歳ニテ書ス
      享保十四己酉二月十五日為母真善院妙有日円菩提納ム同代ニ納ル
※現存せず
 
一 過去帳 一巻 台共ニ    日尋納ム
※過去帳は数冊現存する。
 
一 内鳴  壱ツ先々ヨリアリ
※現存せず
 
一 両山十二祖日惺尊師御本尊  一幅
※現存せず
一 同 十四祖日詔尊師御本尊  一幅
※現存せず
一 同 十五祖日友尊師御本尊  一幅
※現存せず
一 同    日潤尊師御本尊  一幅
※現存せず
 
 
一 同 十六祖日樹尊師御棟札  一枚
 寛永五戊辰二月二十八日客殿五間半七間半妙運坊日周授与之トアリ
※現存せず
 
 
 
右之客殿七世日久代
(寛永5年の客殿は7代目住職日久の時)
 
元禄十六癸未十一月二十二日之夜大地震に打頽
(元禄16年11月22日夜の大地震により全壊し)
 
荒地同前ニ罷成候其後
(荒れ地同様になってしまいました)
 
弐間ニ三間之小家日久建立仕候所ニ
(お寺は間口二間、奥行き三間の小さな庵になってしまいました)
 
其節檀頭井出半左衛門殿被致参詣御覧被成
(その節に檀家筆頭総代の井出さまが河内狭山よりお見舞いにこられ)
 
其以後為普請金弐拾両被遣候得共
(復興の為の資金として20両の大金をご寄付されました)
 
普請の企無之故被致離檀候然所ニ
(残念な事に復興の計画が一向に進まない事に腹をたてて離檀されてしまいました)
 
享保子之年ヨリ御帰参之願段々仕候得而
(享保 年から檀家としての復帰をお願いしておりましたところ)
 
漸々同十三申ノ年三月十九日ニ御帰参候
(ようやく享保13年の3月19日に復帰して下さいました)
 
離檀之間二十五年去年七月三日ニ新ニ石塔被致建立候
(離檀の期間は25年におよびましたが、去年7月3日に石塔を新規に建立されました)
 
高サ五尺壱寸 但シ台座ヨリ幅壱尺壱寸四方ニ出来仕候
(高さ5尺1寸 台座より 幅は1尺1寸四方の石塔に仕上がりました)
 
両脇ニ寺之系図ニ罷成様ニ井出氏ヨリ由緒書被致
(両脇に寺の縁起となるよう由緒書きが彫られております)
 
其上永々為御斎料
(その上に毎年のご供養料として)
 
八木五斗宛毎年御寄付ノ証文壱通被下候
(白米1俵毎年ご寄付下さるとのご証文を書いて下さいました)
 
只今迄段々之御書通有之依捨置難に
(今までに色々と書簡を交わしましたが捨てがたく)
 
右之証文と壱所ニ巻物ニ仕永々什物ニ納ム    日尋代
(さきの証文と共に一巻物として表具して納めました)(私、住職日尋代)
 
一 只今之客殿三間ニ三間半    惣板敷  日壽代
※現存せず
 
一 庫裏三間ニ七間半       惣板敷  日壽代
※現存せず
 
一 座鋪弐間ニ弐間半       惣板敷  日壽代
※現存せず
 
一 畳弐拾弐畳               同 代
 右者檀方ヨリ一銭茂集メ不申候
※現存せず
 
一 庫裏之畳弐拾畳             日尋代
 檀方ヨリ一銭茂集メ不申候
※現存せず
 
一 右日詔尊師ヨリ日船江被下候御本尊 一幅
 是者他寺之什物罷成候所ニ漸々去年八月十九日ニ貰請候而什物納ム 日尋
※現存せず
 
一 惺師友師之御本尊弐幅者私ニ所持之御本尊ニ候得共詔師之御本尊と三幅対ニ表具仕永々什物ニ納ム
※現存せず
 
右之表具三幅対之儀者檀頭井出氏より箱共ニ御寄進ニ而候
※現存せず
 
一 境内御除地間口弐拾八間裏行三拾弐間御水帳之写此高弐石八升七合也
 此反別弐反九畝拾六歩之所也
 右之所ニ客殿庫裏並小家壱ツ水車仕立置墓所茂有之候 ミつかんの木老木壱本若木壱本 残而壱反七歩之所作場所ニ而御座候
 
一 屋鋪添外ニ御年貢地田一反弐畝拾四歩所 此高弐石三升八合七勺 御水帳之写
 
 内外〆作徳年々四俵半宛ニ預ケ置申候
右者内外之田地元禄七年申ノ十二月宝永弐年酉ノ正月両度ニ金子七両壱分ニ売払候
 日久代
 
其後宝永三年戌ノ四月先住日壽請返シ候
 又私シ日壽江乾金拾四両弐分差出候得而返り手形弐通共ニ私シ請取永々納置候 日尋
 
一 水車壱ケ所此地代年々金子弐両宛ニ相極メ取立置申候 日尋
 
一 仏間天井張                    日尋
 
一 七条法服並打敷一枚茂無御座候故古キ打敷弐枚深川浄心寺より貰請候而納ム 日尋
 
一 打敷壱枚 八木又四郎納ム             日尋代
 
一 花立大弐ツ小六ツ 花瓶 香炉           日尋代
 
一 檀那数〆 七間(軒)
 
一 膳椀坪平付 拾人前                日壽納ム
 
一 大皿並ちょく共ニ 拾人前             日尋納ム
 
一 中皿 拾人前                   同代納ム
 
一 吸物椀 拾人前                  同代納ム
 
一 指渡シ壱尺六寸大釜 壱ツ             同代納ム
 
一 中小羽釜 弐ツ                  同代納ム
 
一 四重之せいろう 壱組               同代納ム
 
一 御本山永代千部料金弐両弐部預り置候所ニ檀那之加判を以外ニ壱両借添都合三両弐部也
 
右之金子ニ而上畑壱反弐畝拾四歩之所買置申候
 
右之畑地先様より古証文相添証文二通有之候但シ有合地ニ而候 日尋代
 
一 印判 壱ツ                      日壽代
 
一 諸道具類多候得共略仕書上不申候
 
一 客殿唐紙障子  四本               日尋代 以上
 
  門並塀 城主より建立               日壽代
 
一 当年迄拙僧在住十六年 八十四歳ニ罷成候
 
享保十四年酉ノ五月日
 
小田原板橋村蓮船寺  九代 瑞仙院日尋(花押)
 
此度御改被遊候ニ付檀那共立合候而吟味少茂相違無御座候条仍加判如件
                      檀那 山角町  八木又四郎 
                       同 誓願寺町 五兵衛   
                       同 板橋村   荒井七兵衛